FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

四月のすれ違う物語について


               
四月はまだないですけど、村上春樹さんの「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」をクラスでちゃんと読みました。とても美しくて、ちょっと悲しいの話です。と思う。
 この話があった一九八一年の四月は、日本の昭和時代だった。20世紀だったから、今から見るとこの話はほんど昔話だと思う。私は外国人だから、その時代の日本のことはよく知らないが。その時代のドラマ(例えば「赤い疑惑」)や音楽(「いい日旅立ち」)は知っているので、昭和時代の様子を想像することができる。概して今よりあまり急がない、シンプルでいい時代だったのではないかと思う。そんな時代にそんな作品が出来た。「僕」と100パーセントの女の子とすれ違うのは映画ショットのように五十メートル先から入念に描がれている。何よりも、すれ違う時の綿密な描写がとても美しい。視覚も嗅覚も触覚もいろいろ感じる。彼女の方から来る温かい小さな空気の塊り、アスファルトの舗道に撒かれる水、花屋の店だからバラの花の匂いなどだ。100パーセントの女の子というのは実は心が感じることで、伝えにくいことだが、このよう綿密な描写のおかげで読者は分かりやすい。

 この後、「昔々」から始まって「悲しい話だと思いませんか」で終わる話は素朴だがロマンチックな物語である。こんな長いセリフは確かに実用的ではない。彼女には届かない。そしてそこには特に悲しい意味がある。彼女を追いかけることはありえないし、彼女とめぐり合うことも二度とありえないだろう。100パーセントの女の子はそのまま失すれてしまったのだ。このセリフは告白ではなく、そのような気持ちの記念かもしれない。
 読者は100パーセントの女の子とすれ違う「僕」が可哀そうだと思うかもしれないが、考えてみると彼はあまり可哀そうではないと私は思う。と言うのは彼は彼にとっての100パーセントの相手にめぐり合うことが出来たのだ。彼女の姿が目に映った瞬間から彼にはちゃんと分かっていた。これはある意味での幸せかもしれない。普通はみな75パーセントや、90パーセントとなどの恋愛をして、お互いが100パーセント自分にぴったりだというひとはない。お互いに我慢しなければならない部分もある。100パーセントの相手に出会うことは一生ないかもしれない。その相手がこの世にいるかどうかさえ分からない。その少年と少女のように、100パーセントの相手がいることを固く信じていることもできない。また、万が一100パーセントの相手が自分の前に現れても、本当にすぐ分かることができるだろうか。だから75パーセントの幸福でも一生懸命に求めなければならない。それが普通の平凡な人生だ。そういう意味では、「僕」は100パーセントの愛情を信じる勇気を持つ幸せな人間だ。その100パーセントの女の子とすれ違うのは「一期一会」というのかもしれない。短い瞬間だがたぶん一生忘れられない。一瞬のかなわぬ恋を描いて、淡くて美しい哀愁を伝えている。こんな雰囲気は村上春樹らしい、いや、恐らく日本的な美学だと思う。

スポンサーサイト
プロフィール

Bell

Author:Bell
ただいまニコ厨です。
ボカロ曲と歌い手さんに
夢中です
特に某○さ○っくラジオを
中心に萌えてますw

モラトリウム | Nem's Garden
http://www.team-e.co.jp/sp/nem/
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
FC2カウンター
リンク
ようこそ
RSSフィード
最近のトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。